赤ちゃんを38℃に温める羊水の響き

戦後 日本人を西洋医学の 薬漬けに指導したのは アメリカ政府です 知ってますか?

日本人(75億人の世界の人口で日本人は1.2億人)は世界の薬の40%を消費しています。第二次世界大戦後 、日本人を薬漬けに指導したのはアメリカ政府です。

アメリカは戦後6年間 日本人を覚せい剤中毒にしていました

連合軍総司令部(GHQ)は、戦後6年間 日本人を覚醒剤中毒にしました。連合軍総司令部(GHQ)は、1945年(昭和20年)から1951年(昭和26年)の戦後6年間に渡り、中国のアヘン戦争のように日本国民をヒロポン(覚醒剤)漬けにしました。現在の日本の薬漬け医学を作り上げたのはGHQです。1947年(昭和22年)4月23日にヒロポン(覚醒剤)より先に大麻取締規制を行いました。その後、1951年(昭和26年)にヒロポン取締規制を行ったのです。何かおかしいと思いませんか?

日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵衛はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと涙がでます。九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は、韓国の慰安婦問題や、中国の南京事件を起こした悲しい現実があります。日本政府は、大日本製薬 武田長兵衛商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知りました。ニューギニアの戦地アインで戦死しました。この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。

借金1000兆円 国家予算100兆円 医療関係50兆円 税収入50兆円 年50兆円の赤字は国債で借金 日本は医療費で潰される

アメリカの 西洋医学の 薬漬けに 指導された日本の 将来はない

日本は第二次大戦後、アメリカのロックフェラー財団の指導で、日本人を西洋医学の薬漬けの教育を行っています。病気になれば、すぐ病院で薬漬けです。気力のない、無表情の人間になっています。世界の薬の40%は、日本人(1億2800万人)が消費しています。薬漬けの、日本の狂った西洋医学に将来はない。

アメリカは チベタンボウルの身体の響きは 健康保険の対象です

中国は蒋介石の時代、中華医学を捨て、アメリカの指導の、薬中心の西洋医学に変えましたが、毛沢東国家主席の指導の時代に、伝統の中華医学に戻した素晴らしい国です。中華医80%、西洋医学20%の医学を行っています。現在の中国の発展は、西洋医学の薬漬けにならない、中華医学の心と身体の健康が、中国の発展に繋がっています。

中国は 認知症の治療に 音響免疫療法諸行無常の鐘 チベタンボウルの頭蓋骨を緩める響きを採用しました

中国は 毛沢東国家主席の 指導のもとに伝統の中華医学を残した 素晴らしい国です

中国に現存する、5000年の歴史の最古の医学書『黄帝内経』には、病気を鐘の響きで治したと伝えられています。鐘の響きは、病を治す西洋医学の薬を超えた自己免疫療法だったのです。中国は、鐘の響きが病気を治すことを知っていたのです。仏教のお寺の鐘は、宋の時代に中国から日本に渡来しました。家庭の仏壇の仏具「おりん」として伝わっています。日本は、戦時中お寺の鐘を強制没収、兵器に変えた恐ろしい時代があります。

杭州 浄慈寺の高僧と西堀貞夫は 中国政府の招待で空海の輪廻転生の 生まれ変わりとしてお会いしました

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